戸塚パルソ通信@メール
戸塚宿を行く
Vol.004-01
戸塚に伝わる不思議なお話(1)踊場の猫
「夏の夜、ちょっと不思議なお話で、涼んでみて下さい。
戸塚駅から横浜市営地下鉄ブルーラインで湘南台方面へ一駅。長後街道に面した「踊場駅」があります。
「踊場」とは、ちょっと変わった駅名です。最初に思い浮かぶのは、階段などの平らになっている部分のことではないでしょうか。
ですが、ココ「踊場」の語源は、駅前に立っている石碑「踊場の碑」に添えてある「踊場の碑の由来」に書かれています。
<<踊場の地名は古猫が集り、毎夜踊ったので生じたと言はる>>
ここは、「猫の踊場」だったのです。
さらに<<この碑は猫の霊をなぐさめ、住民の安泰を祈願して/元文2年(1737年)に造立>>とあります。
そのあらましは次のようなものといいます。
昔、戸塚宿に水本屋という醤油屋があった。
あるとき、主人が、手ぬぐいの数が減っていることに気がつく。
使用人に聞いても知るものがいない。
手ぬぐいだけを盗む泥棒もあるまいと思うが、気持ちの良いものではない。
そこで、毎晩、手ぬぐいを干してある場所を見張ることにしたところ、飼い猫が手ぬぐいを咥えて出てゆくではないか。
泥棒ではなく、猫のいたずらであったか。しかし、どこへ行くのか。
主人はその後を付けてゆくことにした。
猫は、長後街道の坂道を上ってゆく。
見れば、峠の頂にさしかかったところに、すでに猫が大勢集まっていた。
醬油屋の猫は、それら猫たちの前に立つと、手ぬぐいをかぶり、拍子を取って踊りだした。
他の猫たちは、醤油屋の猫の踊りについて、見よう見まねで踊った。
飼い猫が、近隣の猫たちの踊りの師匠であると知った主人は、誇らしく思った。
やがて、猫たちが踊るということは、誰いうともなく知られるようになり、峠の頂を「猫の踊場」「踊場」と呼ぶようになったということだった。
あれ?なんかほのぼのしてしまいました。
別バージョンでは、醤油屋の猫が夕食にオジヤを出され、あわてて食べたので(踊りの集まりに遅れそうになったため?)舌をヤケドしてしまった、と、ぼやくというものもあります。これは「猫の踊場」の話に面白いオチを付ける為に「猫舌」の話を絡めたように思えます。どちらにせよ、供養塔を建てる必要があるような、猫が化けて出る事件ではない気がします。
なにか、隠された話があるのではないか?
そこで、踊場の碑を開眼供養したとある、中田(なかた)の中田寺(ちゅうでんじ)を訪ねてみることにしました。
すると、目から鱗のある事実が!
「夏の夜、ちょっと不思議なお話で、涼んでみて下さい。
踊場の碑にある<<猫の霊をなぐさめ、住民の安泰を祈願>>という文字。
もしや、猫が踊ったと終わる伝説には、何か悲劇が隠されていて、<<霊をなぐさめ>>なければならない、事情があったのでは?
真相を伺うべく、碑を開眼供養したという中田寺に向かいました。
中田寺(ちゅうでんじ)は、踊場駅から更に一駅、横浜市営地下鉄ブルーラインで湘南台方面に向かった、中田(なかた)駅から歩いてすぐの場所にあります。
専用駐車場の一角に「中田学舎誕生の碑・無限責任中田信用組合創立の地」という石碑が建っています。
江戸時代から中田地区の住民に厚い信頼を得ていた中田寺は、明治になっても変わらずに、学校(中田学舎)、金融(中田信用組合)など、地域振興の中心として活躍していたことがわかります。
広大な境内と勇壮な本殿は、往時の興隆を偲ばせて、なお余りあります。
突然の訪問にも関わらず、快く対応していただけました。
さっそく、「踊場の碑」が建立された経緯について伺いました。
お寺に伝わるところでは、「寒念仏」に向かった6人のお坊さんが、たまたま踊場を通りかかったとき、地域の方に懇願されて、猫供養塔(踊場の碑)を拝んだ、というのです。
寒念仏とは、冬の時期、お坊さんが村の家々を回って念仏をとなえて歩く行だそうです。
そのついでに「猫の供養もしてくれないか」と頼まれたらしいのです。
「でも、民話によると猫たちは特に恨んだり苦しんだりしたとはいわれていないのですが、なぜ、供養してあげる必要があったのでしょう」
と、疑問をぶつけてみました。
すると、あっさり、
「可愛がっていたからじゃないでしょうか」
まさに目から鱗が落ちるとはこのことでした。
そうなのです。鍋島の猫騒動のように化けて出なくても良いのです。
可愛がっていた猫だからこそ、お坊さんに供養してもらって成仏を願う。
実に自然なことだったのです。
犬や猫はもちろん、牛や馬などは、一緒に生活する家族という思いは昔からあったでしょう。というか、昔は牛や馬は、人間と同じ、一家の働き手。生活に密着していた分、今よりもその思いは強かったかもしれません。
人間と動物が家族同様一つ屋根の下に暮らすスタイルは、岩手県の南部曲屋など、各地で見られます。
「亡くなった犬猫牛馬をご供養することは普通にあったと思います。現代、動物の供養が、特別なもののように思われているのは、裁判所で、人間の供養は宗教行事だけれど、動物を供養しても、それは収益事業だ、と決められているのが大きいと思います。同じく命を尊ぶ行為なのに、そういう割り切り方で本当にいいのかな、と思うことはあります」
生きているうちは踊っているところを静かに見守られ、亡くなってからはお坊さんに供養を頼まれるなんて、踊場の猫たちは、地域の人たちに本当に愛されていたのですね。