戸塚宿を行く

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戸塚パルソ通信@メール 第33号

戸塚宿を行く

vol.012-01

芸術の秋に巡る戸塚の句碑・歌碑1

江戸にほど近い宿場町として栄えた戸塚は、多くの文人が育った文化都市でもあります。
今回は、彼らに関わる句碑・歌碑を取り上げます。

○海藏院・志行墓

◆蝙蝠の ひるはつかしき すがたかな◆

海藏院の山門をくぐってすぐ左手にある、戸塚の歌人、教育者・長坂志行の墓。自然石を用いたおもむきのある姿で、裏面に表題の句が刻まれています。
長坂志行は、戸塚宿天王町で家塾を開き、子弟を育成した教育者でした。歌人としては、松露庵烏明の月次集に「卯の花や 吉野初瀬のこぼれ種」という句が採録されていますが、どれほどの名声を得ていたのかはわかりません。
礎石に長坂門弟中とあることから、この墓は弟子たちが志行の死後、顕彰のために建てたものと思われ、厚い人望が伺えます。素晴らしい教育者であったのでしょう。

○清源院・芭蕉句碑

◆世の人の 見つけぬ花や 軒のくり◆

清源院境内、墓地入口の右側に立つ、松尾芭蕉の句碑。味岡露繡という歌人が松尾芭蕉を慕って建立したもの。諸国翁墳記という、各地の芭蕉供養塔を一覧にした書物に掲載されているとのことで、露繡は、蕉門の端に連なる歌人だったのかもしれません。
「栗という文字は西の木と書くので、西方浄土につながる木として敬われた。高僧・行基は杖や柱にも栗を用いたと言われる(大意)」という、「奥の細道」の文章つきの句碑になっています。

背面には露繡の句が刻まれています。「罌栗(けし)のはな 風も吹かぬに散りにけり」

○清源院・心中句碑

◆井にうかぶ 番(つがい)の果てや 秋の蝶◆

芭蕉句碑の反対側、墓地入口の左側に立っているのが心中句碑です。
戸塚の遊女おやまと旅籠屋の息子(薬種商の店員とも)清三郎が恋仲となりますが、この世では結ばれぬ間柄と悲観して、天神塚の井戸に身投げするという心中事件が起こります。
実際にいつ起きた事件なのか定かではありませんが、これを悼んだ清源院住職、崇準和尚が念仏講中の祠堂金(ほこらの新築、改修などのためにプールしておくお金のこと)を、供養のための、この句碑の資金にまわし、文久三年(1863年)の8月に建立されたとあります。
心中した2人を、秋、命つきた蝶のつがいに例えた句の作者は明らかではありません。ひょっとすると戸塚宿で流行っていた落首なのかもしれませんね。

参考>>清源院

○冨塚八幡・芭蕉句碑

◆鎌倉を いきて出けむ はつ松魚(カツオ)◆

冨塚八幡境内、石段に向かって左側にあります。
この句は、各務支考が著した俳諧論「葛の松原」に、松尾芭蕉作として掲載されたのが初出ということです。
碑の裏面には、5名の句と嘉永2年(1849年)の日付が刻まれています。冨塚八幡は、戸塚宿の学問所としても賑わっていたといいますので、その中で俳諧に造詣の深い人々が、芭蕉を顕彰して建立したのかもしれません。

参考>>冨塚八幡宮

次回も戸塚の句碑・歌碑を取り上げます。
※参考:とみづか第38号戸塚の文人特集(戸塚歴史の会)

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