戸塚宿を行く(歴史探訪)

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戸塚パルソ通信@メール 第105号

戸塚宿を行く(歴史探訪)

vol045

源頼朝をめぐる悲恋伝説丹後局

※丹後局供養塔

●丹後局伝説

源頼朝の愛妾に丹後局という女性がありました。懐妊したことで、頼朝の妻、北条政子の勘気を被り、鎌倉を逃れますが、上矢部に来た時に産気付き、男子を出生します。
出産の時、周囲に狐火がひかり、その明かりで無事に出産できたと伝えられます。
この時の男子は、後に九州にくだり、島津家の開祖になったと伝えられます。
鎌倉にある源頼朝の墓所には、島津家の家紋が刻まれています。
その後、丹後局は上矢部の地で余生を送り、今の神明神社の付近に住んでいたとされ、その縁で、周囲のことを、丹後山、と呼んだとのことです。

丹後局

史実に丹後局と書かれている女性は、源頼朝の乳母、比企の尼の娘に実在します。
乳母の娘を妻妾とすることは珍しいことではないのですが、吾妻鑑には、重臣安達盛長の妻となっており、頼朝の側室だった可能性は低いのではないかと思われます。
島津氏は実際は惟宗氏の派生とされていますが、江戸時代になって、盛んに源頼朝との関係を宣伝しています。これは、朝廷工作で、新田氏流を名乗る徳川家よりも家格が上であることのアピールであるとも言われています。
史実として、島津家初代忠久は、北条氏の政敵であった畠山重忠や比企能員と近かったと言われており、そうした事実に、愛憎劇の空想が加わったものが、丹後局伝説なのかもしれません。

●丹後局供養塔