戸塚パルソ通信@メール 第118号
戸塚宿を行く(歴史探訪)
vol054
戸塚の近くの【鎌倉殿】畠山重忠最期の地をめぐる
■武士の鑑・畠山重忠
剛勇無双、忠勤至誠にして、容姿端麗眉目秀麗と、非の打ちどころのない「武士の鑑」と謳われた畠山重忠。
武蔵国の大勢力として、鎌倉幕府でも重きを置きますが、北条氏の策略で排斥されたと言われます。
わずか134騎で鎌倉へ向かうところ、武蔵国二俣川で、北条義時引きいる数万の軍勢に襲われ、奮闘虚しく討死しました。
大河ドラマでは中川大志さんが演じて「見栄えが良すぎる」と大人気を博した畠山重忠最期の地を巡ってきました。
■畠山重忠公首塚
二俣川の戦いで討死した畠山重忠の首を葬ったとされる塚。相鉄鶴ヶ峰駅からすぐ
■首洗いの井戸
同じく、畠山重忠の首を洗い清めたとする井戸の跡地。柵が見えますが、横浜市の旭区役所の敷地内にあります。
■旭区役所
もともと旭区のキャラクターとして活躍していた「あさひくん」が、重忠コスプレをして、「重忠あさひくん」として活躍中。
■畠山重忠終焉の地
畠山重忠最後の戦いは「鶴ヶ峰・二俣川合戦」と称されます。主な史跡は鶴ヶ峰方面に集中しています。
■帷子川
二俣川の戦いは川を挟んでの激烈なものだったと言います。河川改修工事で当時とは川の流れが変わっていますが、この周辺は硬い岩盤の上に川が流れていて、雰囲気はあまり変わっていないかも知れません。
■畠山重忠公碑と逆さ矢竹
畠山重忠公碑は、昭和30年、没後750年にあたるのを機に、鶴ヶ峰と、畠山重忠の地元、川本村(現深谷市)の有志が建立したもの。
逆さ矢竹は、謀反の汚名を着せられた畠山重忠が、二本の矢を地面に突き刺し、「私の心が正しければ、この矢が根付くだろう」と言い残したものとされています。果たして矢は見事に根付き、畠山重忠の潔白が証明されたと伝わります。
■薬王寺
畠山重忠とその郎党の墓とされる「六ツ塚」を守るお寺です。
畠山重忠のものとされる塚(お墓)
点在する塚をお地蔵様が守っています。
■駕籠塚
畠山重忠に謀反の疑いがかかったと聞いた夫人が、急遽駆けつけたが、重忠が討死したと知り、駕籠の中で自害した場所とされる。彼女は駕籠ごとこの地に葬られたという。
後世に整備されてどんどん立派になったと思われる。おそらく「駕籠ごと埋めたのではないか」と言われるほどの大きな塚があったのではなかろうか。
■鎌倉古道の碑
秩父平氏であった畠山重忠の本拠地と終焉の地を結ぶ道。
■畠山重忠公遺烈碑
こちらは少し離れて、二俣川駅から10分ほど歩いた場所にある。畠山一党を待ち伏せした北条方の万の軍勢が展開したことから万騎が原と名付けられた場所ということで、顕彰碑を建てたらしい。
近隣にあった無縁塚の遺骨をこの場所に改葬する際に、地蔵菩薩を建立し、畠山一族も一緒に供養した、とある。
■戸塚道の道標
畠山重忠公遺烈碑の敷地内に立つ。ここから、戸塚を目指して人がうごいたのだろう。
●畠山重忠最期の地 ■畠山重忠公遺烈碑