戸塚パルソ通信@メール 第130号
戸塚宿を行く(歴史探訪)
vol062-1
近藤勇も訪れた萩原代官屋敷・萩原道場跡(1)
■萩原代官屋敷・萩原道場跡
東海道の要所であった境木立場。境木地蔵や焼餅坂が賑わう街道沿いから一歩裏手に入った場所に、萩原代官所・萩原道場跡が残ります。
立場(非公式の宿場)ながら、大名も宿泊したという境木ですから、治安維持のために必要だったのでしょうし、場合によっては、大名の不審な動きを探る役割もあったのでしょう。
萩原家は、旗本杉浦家の代官で、杉浦家の所領の一つである平戸の支配を任されていました。
幕末の当主である、萩原行篤は、嘉永4年(1851)に直心影流の免許皆伝を得て、代官所に道場を開いたとされます。
入門者は200名を越え、大いに栄えたと言います。
また、現在の平塚、茅ヶ崎、寒川にも門弟を抱え、出稽古を行っていたとのことですが、これらには杉浦家の飛地の所領があり、現地の代官との情報交換もおこなっていたことでしょう。あるいは、萩原家は、それらの土地の支配も任されていたのかもしれません。
萩原道場は、交通の要衝にあり、江戸からも近かったことから、多くの剣客が訪問し、切磋琢磨していました。
安政5年(1858)の8月には、のちに新撰組を率いることになる、天然理心流の近藤勇が訪れたことがわかっています。
■萩原代官屋敷・萩原道場跡