戸塚宿を行く(歴史探訪)

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戸塚パルソ通信@メール 第141号

戸塚宿を行く(歴史探訪)

vol067-2

石橋山に散った剛勇佐奈田与一と證菩提寺(2)

■佐奈田与一と證菩提寺

佐奈田与一追善のため建立された證菩提寺を訪ねます。 ・證菩提寺山門

■證菩提寺

源頼朝の危機を救い、討死した佐奈田与一義忠。
やがて頼朝が鎌倉に入り、東国の覇権を確立すると、その忠義を賞賛してお寺を建立することになります。
文治5年(1189年)に完成した広大な寺域には、阿弥陀堂・大日堂など七堂が立ち並ぶ壮大なものでした。

※当時の寺域と想定されるエリア

完成当時は、阿弥陀堂が中心となっていたため「無量寿寺」と呼ばれたとされます。無量寿とは、阿弥陀如来の漢語表現です。
佐奈田与一の父で、実際の大旦那であった岡崎四郎義実が亡くなると、これを大日堂に祀り、岡崎堂と呼ぶようになります。やがて岡崎堂が当寺の中心となり、岡崎義実の法名「證菩提」を寺号とするようになりました。
證菩提寺は、鎌倉の鬼門の守りの一つとされ、北条政子の追善供養の際にも新阿弥陀堂が建立されたという記録があります。その為か、現在、新旧二体の阿弥陀如来像が安置されていると言うことです。

山門から本堂を望む
境内の様子
本堂
岡崎義実の供養塔

■證菩提寺