戸塚パルソ通信@メール 第38号
戸塚宿を行く
vol.014-02
末広がりで縁起がいい?戸塚の八つの八幡様2
冨塚八幡宮から発祥したと言われる「とつか」の地名。神奈川県神社庁のHPによると戸塚区内に8つあるという八幡宮の内、今回は五社を巡ります。
○増威八幡社(小麦八幡)
祭神の表記は「品陀別命(ほんだわけのみこと)」。その他、全八柱の祭神を祀り、境内には弁天宮まである。
天平元年(西暦729年)の六月十五日に創建されたと伝わり、これは八幡社本宮である宇佐八幡宮の創建とほぼ同時。戸塚の中川、川上地区内では最古の神社とされる。
源義家が立ち寄った際に神社の名を尋ね、神職が苗字である「増井」と答えたところ「増威(威を増す)とは吉兆」と喜んだところから「増威社」と呼ばれるようになったという。
祭礼に小麦で作った捧げ物をするので、別名「小麦八幡」という。
真言宗長蔵寺と隣接する様子は、明治以前の神仏習合の様子を色濃く残す。
本殿 明治時代頃の額。「増威社」とある。
○篠塚八幡社
鎌倉時代の正応年間(西暦1288〜1293年)に五穀豊穣・天下泰平を願って創建されたと伝わる。もともとは本殿と拝殿が別々になっていたが、昭和41年(西暦1966年)に覆殿が作られ、一体化された。
○子之八幡社(ねのはちまんしゃ)
祭神は大己貴命(大国主命)と誉田別命(応神天皇)。もともとは大己貴命を祀る子之神社(ねのじんじゃ=大己貴のお使いであるネズミを表す)だったが、大正四年(西暦1915年)に上倉田の八幡宮が焼失したため、祭神である誉田別命を合祀して、名前も子之八幡社に改めたという。
拝殿後ろの丘の上にある「子の八幡社子供の遊び場」。
○下倉田八幡神社
創建年月日などは不明。新編相模風土記には村の鎮守としてしるされていたという。
○舞岡八幡宮
乾元元年(西暦1302年)、空に白旗が舞うという奇瑞が起こったことから、当地の村名を舞岡村に改め、石清水八幡宮を勧請して八幡宮を創建したという。明治四十一年には、村内の第六天社・若宮八幡社・御嶽社などを合祀し舞岡神社と称したが、昭和四十一年に、旧に復した。
毎年四月十五日には、「湯花神楽」という特殊神事が行われている。
戸塚区内の8つの八幡宮を巡ってみました。区内南北に幅広く分布し、そのいわれや歴史も多様で、八幡宮(八幡神社)という名前で一つにくくってしまうことはできませんね。とても奥深さを感じました。
参考:とつか歴史探訪(戸塚見知楽会 2011年発行)