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戸塚パルソ通信@メール 第51号

戸塚宿を行く

vol.021-01

北条氏台頭に挑んだ御家人泉小次郎(1)

泉小次郎伝承地:神明社

今回は泉区の人物を取り上げます。「泉小次郎親衡」。
似た名前の国会議員と間違えてしまいそうですが、鎌倉時代初期に、権勢を強める北条氏に反旗を翻した人物です。
いずみ中央駅近隣に伝承地が集中しており、現在の泉区の中心部に勢力を持っていたことは間違いなさそうですが、泉区の区名と、泉小次郎は直接の関係はないとのこと。
直接の関係がないことが、逆に因縁めいたものを感じさせます。

泉小次郎は源満仲の子孫で、信濃に本拠を置く信濃源氏嫡流と言われています。
信濃は木曽義仲の本拠でもあり、鎌倉幕府滅亡後には北条時行が諏訪氏を頼って落ち延びるなど、何かと鎌倉には縁のある土地柄。そこと直接の関わりを持つ泉小次郎は、おそらく鎌倉幕府の中でも一定の勢力を持っていたと思われるのですが、鎌倉幕府の初期に歴史の表舞台から姿を消すため、その実態は明らかではありません。

後世、信濃に伝わる「泉小太郎伝承」と混ざり、大力無双の豪傑が活躍する「泉親衡物語」を二代目福内鬼外が描きます。「泉小太郎」はまた、「龍の子太郎」のモデルになったとのこと。意外なところで身近に泉小次郎は生きていたのです。

面白いのは、「泉小太郎伝承」には、泉小太郎(小次郎)が大きな湖を母龍とともに開削し、干上がって陸地になったところが松本盆地である、というものがあるのですが、松本盆地ができたのは、龍と「猫」が戦い、その時に湖が決壊して干上がったため、という別の伝承があるのです。

いずみ中央駅の前を走る長後街道を、戸塚に向かってひと山越えると「戸塚の猫伝説」がある踊場です。「泉小次郎と猫」には何らかの関係があるのか、少し空想してみたくなる偶然です。

 

泉小太郎の像(wikipedia:public domain)

「信濃資料」には、泉親衡の乱は、次のように書かれています。


建保元年二月一五日(1213) 是より先、信濃の人泉親平、信濃・下総等の士を誘ひ、頼家の子千手を奉じて乱を謀る、是日、幕府、親平の使安念を捕ふ、明日、安念の白状に依りて其の党を捕ふ、親平、逃亡す、


鎌倉幕府二代将軍源頼家が謀殺された後、泉小次郎が信濃のほか、下総の武士とも謀って挙兵しようとしたが、事前に幕府に把握され、逃亡したというのです。

この時、泉小次郎に共鳴した武士の中に和田義直、義重の兄弟と、彼らの従兄弟にあたる和田胤長が含まれていました。

和田兄弟は、幕府の重鎮である和田義盛の息子であったため不問に付されましたが、和田胤長は奥州へ流罪となり、財産を北条義時が没収します。

この処分以降、和田義盛と北条一族の決裂は確定的となり、のちの和田合戦ー和田氏の滅亡へと繋がってゆくのです。

逃亡した泉小次郎の行方は明らかではありません。相模原に逃亡したとも、信濃の飯山に帰還したとも言われます。また、武蔵国三芳野で出家し、静海という僧侶として天寿を全うしたという話も伝わっています。

 

和田合戦図(wikipedia:public domain)

○いずみ中央