戸塚パルソ通信@メール 第53号
戸塚宿を行く
vol.022-01
戸塚駅から西へと続く長後街道を歩く(1)
サクラスと大和証券の間を走る長後街道。
戸塚駅西口を起点に、いずみ中央〜長後に続く「長後街道」。そのまま厚木や伊勢原へと向かい、県西部と戸塚を結ぶ主要道路として賑わっています。長後街道という呼び名が定着したのは意外にも新しく、昭和50年代に入ってからとのこと。それ以前は「厚木街道」「戸塚道」と呼ばれていました。
長後街道自体、本格的な街道として整備が始まったのは明治に入ってから。江戸時代は大山道のバイパスが何本かあり、それらを利用しながら輸送力の向上を目指して整備されたのが、長後街道です。
今回は、長後街道沿いに残る歴史の痕跡をたどりながら、西を目指します。
( 長後街道を歩く(2) ▶)
内田本陣跡の碑。長後街道の起点、戸塚郵便局・スルガ銀行付近に存在していました。
往年の痕跡を残す道祖神。わずかに文字が刻まれているのがわかりますが、判読不可能です。
道祖神があるのがここ。
長後街道を渡って、清源院通りに寄り道。
清源院通りは、かつての「戸塚道」の一部とされています。
写真は矢沢公園。
かつての戸塚道の面影がわずかですが感じられます。
清源院に到着。
すっかり新しくなった本堂は、外からでも木香がプンと香ります。
○清源院通り
長後街道に戻って。左手には高松寺。戸塚宿七福神巡りの大黒天を祀ります。
梅が実る、閻魔堂前。
矢沢の信号。高架になっているのは新国道1号線。
長後街道沿いに見られる切り立った擁壁。かつての峻険な地形を彷彿とさせます。
踊場町内会館は、満開の桜の下。
見事な眺望は、かつては上り下りの激しい山坂だった痕跡です。
大型家電店が見えてくると
踊場です。
4車線の近代的な道路に、透かし絵のように、かつての町や地形の痕跡が感じられる長後街道。次回は中田・立場を通って、いずみ中央を目指します。
○長後街道(戸塚駅から踊場駅)