戸塚パルソ通信@メール 第70号
戸塚宿を行く
vol.030-2
源氏ゆかりの戸塚の2社白旗神社(2)
■源氏の紋章でもある、笹竜胆の神紋
■戸塚区に2社鎮座する「白旗神社」。先月取り上げた品濃の白旗神社に続いて、平戸の白旗神社をご案内します。
「平戸白旗神社」は、国道1号線に面しています。
境内にある横浜市指定の名木古木であるケヤキの木。樹齢300年と推定されています。
こちらの白旗神社にも遥拝所が。急な参道を登るのが難しい方はこちらでお参りできます。
急な上に狭い参道の階段。一方通行です。
途中に「富士見台」と書かれた看板が。あいにくこの日は富士山は見えませんでした。
ようやく本殿に辿りつきました。
■平戸白旗神社は乾元元年(西暦1302年)9月9日に、鎌倉の鶴岡相承院の前住元智が勧請したとされています。
鎌倉のお寺の、前の住職が神社を戸塚の地に開いたということで、現在の我々は少し違和感を感じるところです。
源頼朝が拡大した鶴岡八幡宮は、当時は「鶴岡八幡宮寺」という名称で、神仏両方を祀る場所でした。そうしたことは明治以前の神仏混淆の時代には珍しいものではなかったようです。
平戸白旗神社には「源頼朝の遺髪をみたましろ(御神体)として贈られた」と隣接する東福寺の文書にあり、東福寺が、白旗神社の創建以来、神事を司ったとされています。
東福寺は臨済宗円覚寺派の寺院ですので、鎌倉幕府とのつながりは深く、白旗神社の創建にあたって、幕府の意図があったことが想像できます。この場所は、鶴岡八幡宮のほぼ真北であり、京都御所から見た鞍馬寺の役割(都城鎮護)を果たします。
創建の乾元元年は、元寇(弘安の役)が終わって十余年。対外的な警戒はまだ怠れない時期である一方で、北条得宗家に権力が集中して、国内政治的には安定していた時期です。そんな平穏に見える時期に、鎌倉幕府には、何か不安要因があったのでしょうか。
奇しくもこの年、後宇多天皇の第2皇子尊治殿下が親王宣下されています。のちに鎌倉幕府倒幕を成し遂げる、後醍醐天皇となられる方です。
現代でも隣接する東福寺。
額下には、源氏の笹竜胆が見えます。
○平戸白旗神社