戸塚パルソ通信@メール 第71号
戸塚宿を行く
vol.031-1
やがて軍神を生む最強の系譜長尾砦と長尾氏(1)
■上杉謙信・初名は長尾景虎
(wikipedia:public domain)
今回取り上げる長尾氏は、栄区の長尾台を発祥とする一族です。
鎌倉権五郎景政を先祖とする坂東八平氏の一つで、最初に長尾氏を名乗ったとされる長尾次郎景弘は、以前に取り上げた俣野五郎景久の叔父にあたります。
参照:義の男・俣野五郎景久(1)・(2)
長尾景弘の息子、長尾定景は、源頼朝の挙兵時には、一族である大庭景親、俣野景久とともに平家方に付き、頼朝の重臣・佐奈田与一を討ちとる活躍を見せます。やがて反攻した源頼朝との戦いに敗れ、捕らえられた長尾定景は、佐奈田与一の実父である岡崎義実に預けられます。
斬首と思われた長尾定景ですが、熱心に法華経を読む姿に、岡崎義実自らが赦免を願い出て助命され、以降は頼朝配下として源平合戦で武功を挙げたと言われています。
鎌倉幕府成立後、長老として重きをなしていた長尾定景は、源実朝暗殺事件の際、三浦義村より、実行犯である公暁の討伐を命じられ、これを果たします。
( 長尾砦と長尾氏(2) ▶)
■「鶴岡の暮雪 」月岡芳年
公暁による源実朝暗殺シーン
その後、三浦氏に近くなり、鎌倉幕府の要職にあった長尾氏ですが、北条氏の他氏排斥事件の一つとされる宝治合戦で三浦氏が没落すると、長尾氏本家も壊滅状態となってしまいます。わずかに残った他流の長尾氏は、足利氏の重臣である上杉氏に近づきなんとか命脈を保ちます。
鎌倉幕府が崩壊し、足利氏の覇権が確立すると、上杉氏は事実上の関東地方の支配者・関東管領となります。
長尾氏も上杉氏の家宰(一家の支配人的な立場)として各所に勢力を伸ばし、上杉氏の一族が全国に所領を広げるのにあわせて、全国に広がっていきます。
その中の一つが越後の守護代(副知事的な立場)となった越後長尾氏です。
戦国時代になると、越後長尾氏は、守護の越後上杉氏を凌駕し、事実上の国主となります。そんな中、関東管領の上杉憲政が、小田原北条氏に敗れて信濃に亡命。さらに武田信玄の信濃攻略から逃れて、越後に庇護を求めます。
その時の長尾氏の当主が、長尾景虎。
上杉憲政は、庇護の代償として上杉家の家督と関東管領の地位を長尾景虎に譲ります。
長尾景虎改め上杉政虎(のち輝虎、出家して謙信)は、武田信玄、北条氏康・氏政らとの壮絶な戦いを勝ち抜き、やがて北陸へ侵攻してきた織田勢を七尾城で撃破するなど、軍神と呼ばれるようになるのです。
■「川中島合戦屏風」(一部)
武田信玄の本陣へ斬り込む上杉謙信
次回:長尾氏発祥の地、長尾台を巡ります。
○長尾台町