戸塚宿を行く

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戸塚パルソ通信@メール (第6号)

戸塚宿を行く

Vol.003-02

謎に包まれた戸塚の玄関口大橋

「吉田大橋」のことを、戸塚の歴史に詳しい戸塚見知楽会の中川二與氏にお話を伺ったところ、いきなり衝撃の事実。
「吉田大橋という橋はないんですよ」

しかし、信号機には「吉田大橋」と地名が書いてありますが。。。

「あれは(国道なので管轄の)国交省がつけた表示です。必ずしも正確な地名や施設名という訳ではないんです。あそこだけではなく、信号機の表示が、正式な地名と違うことは多いですよ」

では、「あの橋」の本当の名前は何というんでしょう。
「大橋です」

そうです。橋の欄干にその橋の名前が掘り込まれています。そこには確かに「大橋」としか書いてありません。
江戸時代の東海道宿村大概帳という資料の中にも、「大橋」と書かれていて、郷土史家の方々の間では正式な呼称として使われているんだそうです。

「ですが、吉田という名称が全く使われていなかった訳でもないようです。有名な忠臣蔵のお軽勘平の道行の中に 「まだ花寒き春風に、柳の都あとに見て、『気もとつかはと吉田橋』」というセリフがあります。「戸塚は」と「とつかは」の掛詞で、『戸塚といえば吉田橋がある』と『いそいで吉田橋を渡ろうと気が急く』という二つの意味があります。なぜここで吉田橋といわれているのかは定かでありません。『気もとつかはおおはし』だと語呂が悪いので、そのためかもしれません。一方で、矢部大橋と呼ぶケースもあります。これらは例外と考えた方がいいと思います」

では、正式名称が分かったところで、早速「大橋」の歴史などをお伺いしたいのですが。
「それがほとんど分かっていないんですよ。いつごろからあるのか、誰が架けたのか、など、資料がありません。」
でも、大橋というくらいですから、それなりの地位のある人が掛けた橋なのでは? 場所的にも、東海道とかまくら道、大山道も含めたターミナルですから軍事的とか政治的とかで何か意味のある橋だったんじゃないかと思うんですが。

「いや、大橋というのは、単に『近隣では大きい橋』くらいの意味で、それ以上のことはありません。戸塚の大橋は、東海道に架かっている橋の中で、神奈川県内で上から10番目くらいの規模ですね」

10番目、、、、微妙ですね。。。

「それに江戸時代、重要な河川には橋が架かっていません。このあたりだと多摩川、相模川、酒匂川ですね。それらは国境など、重要な境界線です。逆に言えば、それ以外の川には、あまり大きな意味はないと思います。」

でも、そんな微妙な橋が、なぜ戸塚の代表的な景色として定着したんでしょうか。
「それは、有名な歌川広重の浮世絵のせいです」
歌川広重は、元々描いていた役者絵や美人画ではあまりぱっとせず、東海道五十三次で風景画を描くことで大ブレイクを果たしました。
有名な大橋の絵は、歌川広重の東海道五十三次戸塚宿の、記念すべき第一弾だったのです。

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