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戸塚パルソ通信@メール (第9号)

戸塚宿を行く

Vol.004-02

戸塚に伝わる不思議なお話(1)踊場の猫

「夏の夜、ちょっと不思議なお話で、涼んでみて下さい。

踊場の碑にある<<猫の霊をなぐさめ、住民の安泰を祈願>>という文字。
もしや、猫が踊ったと終わる伝説には、何か悲劇が隠されていて、<<霊をなぐさめ>>なければならない、事情があったのでは?

真相を伺うべく、碑を開眼供養したという中田寺に向かいました。

中田寺(ちゅうでんじ)は、踊場駅から更に一駅、横浜市営地下鉄ブルーラインで湘南台方面に向かった、中田(なかた)駅から歩いてすぐの場所にあります。
専用駐車場の一角に「中田学舎誕生の碑・無限責任中田信用組合創立の地」という石碑が建っています。
江戸時代から中田地区の住民に厚い信頼を得ていた中田寺は、明治になっても変わらずに、学校(中田学舎)、金融(中田信用組合)など、地域振興の中心として活躍していたことがわかります。
広大な境内と勇壮な本殿は、往時の興隆を偲ばせて、なお余りあります。

突然の訪問にも関わらず、快く対応していただけました。
さっそく、「踊場の碑」が建立された経緯について伺いました。

お寺に伝わるところでは、「寒念仏」に向かった6人のお坊さんが、たまたま踊場を通りかかったとき、地域の方に懇願されて、猫供養塔(踊場の碑)を拝んだ、というのです。
寒念仏とは、冬の時期、お坊さんが村の家々を回って念仏をとなえて歩く行だそうです。
そのついでに「猫の供養もしてくれないか」と頼まれたらしいのです。

「でも、民話によると猫たちは特に恨んだり苦しんだりしたとはいわれていないのですが、なぜ、供養してあげる必要があったのでしょう」
と、疑問をぶつけてみました。
すると、あっさり、

「可愛がっていたからじゃないでしょうか」

まさに目から鱗が落ちるとはこのことでした。
そうなのです。鍋島の猫騒動のように化けて出なくても良いのです。
可愛がっていた猫だからこそ、お坊さんに供養してもらって成仏を願う。
実に自然なことだったのです。

犬や猫はもちろん、牛や馬などは、一緒に生活する家族という思いは昔からあったでしょう。というか、昔は牛や馬は、人間と同じ、一家の働き手。生活に密着していた分、今よりもその思いは強かったかもしれません。
人間と動物が家族同様一つ屋根の下に暮らすスタイルは、岩手県の南部曲屋など、各地で見られます。

「亡くなった犬猫牛馬をご供養することは普通にあったと思います。現代、動物の供養が、特別なもののように思われているのは、裁判所で、人間の供養は宗教行事だけれど、動物を供養しても、それは収益事業だ、と決められているのが大きいと思います。同じく命を尊ぶ行為なのに、そういう割り切り方で本当にいいのかな、と思うことはあります」

生きているうちは踊っているところを静かに見守られ、亡くなってからはお坊さんに供養を頼まれるなんて、踊場の猫たちは、地域の人たちに本当に愛されていたのですね。

戸塚に伝わる不思議なお話「踊場の猫」・この稿終わり

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  • 踊場の碑

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