戸塚宿を行く(歴史探訪)

戸塚駅西口 11ブロックからなる絆体験ゾーン"戸塚パルソ"

ホーム »戸塚パルソ通信@メール

戸塚パルソ振興会事務局

〒244-0003
神奈川県横浜市戸塚区戸塚町16-5
E-mail:info@totsuka-pallso.jp

戸塚パルソ通信@メール 第103号

戸塚宿を行く(歴史探訪)

vol043-2

戸塚最初の小学校戸塚小学校(2)

明治5年から6年にかけて創立された「小学校1期生」について調べました。

●横浜最古の小学校は?

青葉区の奈良小学校は、新潟県の小千谷小学校と並ぶ日本最古を称していて、なんと慶応4年開創です。ただし、これは前身の寺子屋の記録なので、公称ではありません。(前身の寺子屋ならば、戸塚小学校の前身の海藏院の寺子屋も、江戸期から存在します)奈良小学校はその後、統合と分離が繰り返され、現在、学校としての公式創立日は1953年の4月になっています。

横浜市の資料を元にした公式の記録では、緑区の山下小学校が一番古く、明治5年の7月を学校創立の日としています。

ところが、文部省が学制を公布し、小学校という存在が誕生したのは、明治5年の8月2日です。7月にはまだ「小学校(小学学舎)」というものは公式には存在していません。
公式には存在しない「小学校」が、創立されたことになっている。。。。公布の前月に何があったのでしょう?

文部科学省のサイトによると、学校制度の整備は明治政府の喫緊の課題として、廃藩置県という大変革の混乱の中にもかかわらず、明治4年に文部省の立ち上げとともに推進されたとあります。
翌年に学制が公布されたのですから、わずか一年で、日本全国に導入する新制度を作る、そのスピードの速さは想像を絶します。
さらに驚くべきことに、小学校を作ることが決定され、学制を公布したにも関わらず、学校設立のための国家予算は「なかった」とのこと。
正確には、大蔵省との折衝が間に合わず、予算措置がないまま制度が走り出してしまったということのようです。

そこで、新たにお金をかけずに子供たちを教育できる場所として、寺子屋に白羽の矢が立ったものと思われます。
しかし寺子屋はあくまでも私塾で、カリキュラムもバラバラ。そのままでは公教育とすることはできません。
多くは、寺子屋が文部省の学制に準拠する体制に整えられ、「学舎」という、小学校の前身の看板に掛け変わった時を、小学校の創立としています。最古級の小学校でも、明治6年創立が多い理由でしょう。

●江戸時代の寺子屋の様子

寺子屋の筆子と女性教師 一寸子花里「文学ばんだいの宝」(パブリックドメイン)

横浜市の場合、翌年の明治6年に31校が創立されます。
戸塚区は、戸塚小学校一校のみで、栄・泉・瀬谷区はゼロ。同時期に磯子区や金沢区、鶴見区では3校、港北・青葉区や南・港南区は4校開校しており、戸塚の学校数の少なさが目立っています。西区・都筑区も明治6年の創立校はゼロで、これは学齢人口の違いなのか、地域性なのかまではよくわかりません。
神社仏閣の多い戸塚地区は、江戸時代には寺子屋のような民間の学問所が盛んだったことがわかっています。
寺子屋が盛んすぎたために、逆に学制への移行が遅れた可能性はあるかもしれません。
戸塚地域に、次の小学校ができるのは、明治9年に田谷地区の千秋小学校、その後は明治23年の瀬谷小学校、明治25年の中和田小学校、川上小学校であり、他地域に比べてスローテンポと感じてしまいます。

横浜市は、2020年に市立小学校6校の建替え基本構想を策定し、2026年までに終了させる目標を発表しています。
戸塚小学校の建替え事業もその構想の中に含まれていて、2023年の創立150周年に合わせられるよう、事業計画を進めているそうです。

●戸塚小学校