戸塚パルソ通信@メール (第12号)
戸塚宿を行く
vol.005-02
恋愛パワースポット?”第六天”を巡る2
○恋愛成就の御利益があるという「第六天」。
しかし、ネットで調べてみたところ、「第六天とは魔王」という結果が出ました。
ややしばらく呆然としていた編集部員Xですが、
「実際に現地に行きましょう!ネットじゃ何もわからないですよ!」
と、飛び出して行きました。ネットメディアに関わるものとしては、大胆な発言だなあ。
戸塚の近隣だけで四社ある「第六天」。まずは上矢部の第六天社に飛んだのですが、しょっぱなからつまづきます。
地図上にある筈のお社が見当たらないのです。
ウロウロすること数十分。すると「何かお探しですか」と救いの声が。
近くで農作業をしていたと思しきご婦人でした。
「第六天というお宮を探しているんです」
ああ、あそこです、と指差された先は、どう見ても畑の真ん中。第六天について調べていることをご説明すると、ご婦人は
「主人の方がよく知っていますから」
と、ご主人を呼んで来てくださいました。
上矢部の第六天は、どなたかの持ち物ではなく、近隣の皆さんが、はるか鎌倉時代から支えて来たお宮だということです。
以前は畑の中に、第六天に通じる道もあったそうなのですが、畑を踏み荒らす不心得者が増えて来たため、不本意ながら、そちらは閉鎖。近隣の方は、一見、それとはわからない間道を通って、お参りしているということです。
「この辺りは昔は番匠谷といって、番匠=宮大工の居た土地なんだよ。鶴岡八幡宮の建築に関わって、功績のあった宮大工だそうだ。宮大工が拝んでいたのが第六天だということだ」
大工さんの守護神?随分おもむきが変わって来ました。
その時、わざわざ自宅にご案内していただき、見せていただいたのがこちら。「上矢部郷土史」と「戸塚神社志」
特に上矢部郷土史は、昭和3年に上矢部の歴史をまとめ、当時100軒だった地区の家々に配られたという大変貴重なものです。
「中身はちょっと見せられない」
ということ。当時は個人情報保護という概念のない時代。事細かく各戸の情報が載っているので、プライバシーが丸見えなのだとか。
なんとも時代を感じさせる話です。
恋愛成就については「第六天の総本社が、そういうことを言ってるかもしれないけれど、ここの第六天は、この集落がみんなで守ってきたお宮で、特にそれを意識したことはない」ということ。
ただ、逆に言えば、子孫繁栄がなければ、集落も途絶えてしまう訳で、広い意味では恋愛成就も、第六天の御利益といえるのでしょう。
さて、一般的に第六天とは、江戸時代までの神仏混交の中で、仏教の存在でありながら神社に祀られて来た神様でした。 ところが明治維新になり、「神社に仏教の神様を祀ってはいけない」という通達が出ます。 多くの場合、仏教と神道は対比出来る存在があったので、荼枳尼天なら稲荷神、弁財天なら宇賀神、大黒天なら大国主、と、入れ替えに困らなかったのですが、第六天である他化自在天には、残念ながら対応する神様がいませんでした。 このままでは神社として存続出来ない、という時に、どこかの知恵者が「第六天とは、神代七代の、第六代という意味にすればよい」と提案したのでしょう。 その六代に当たる面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)を祭神とすることで、明治の新しい時代に対応したのです。 この、新しい第六天の主が夫婦神であること、元々の他化自在天が「この世のあらゆることを思い通りにできる」とされていたことが重なり合って、「恋愛(縁結び)を自由自在にかなえる」という信仰になったのだと思われます。
公民館としても親しまれています。
道路改良工事でお宮が一新。
「養老伝説」が今も生きています。
「そこにお参りすればモテモテになれると言う訳じゃないんですね〜」と編集部員Xは少し、いや、かなりがっかりしています。 パワースポットというのは、自分のわがままをなんでも聞いてくれる都合のいい場所ではなくて、素晴らしい環境や、その場所を支えて来た先人たちの思いに感じて、自分を成長させるところなんだと思うのですが、どうでしょう。