戸塚パルソ通信@メール 第123号
戸塚宿を行く(歴史探訪)
vol058-2
飯田家義もう一人の「頼朝を救った男」(2)
■飯田家義の旧跡を巡る
■相鉄線ゆめが丘駅
飯田家義が地頭として支配した場所は、今の下飯田の一帯と考えられています。雑木林の広がるのどかな地域でしたが、現在、ゆめが丘駅周辺が大規模開発の真っ最中です。生まれ変わる飯田に、飯田家義の痕跡を訪ねました。
■左馬神社
境川沿いに集中してみられるサバ神社の一社。下飯田の左馬神社は、源義朝を祭神に祀り、源平合戦の頃、飯田家義が建立したとされます。飯田家義は、本人が義朝に仕えたとも、飯田家義の父が義朝の郎党だったとも言われますので、義朝を祀る神社を造ってもおかしくありません。この左馬神社は、元は密教系の神仏混淆の場所だった可能性もあり、義朝の供養のために建立されたのかもしれません。
■富士塚公園
飯田家義の屋敷があった場所と言われています。富士塚城址と伝わりますが、具体的に城があったかどうかは不明です。
明治32年に五輪等や納骨瓶が出土し、「古賢大菩薩」という碑が飯田家義を偲んで建立されました。
■富士塚城址の碑 ■富士塚公園全景
■琴平神社
■東泉寺
琴平神社と東泉寺は元は一体で、明治の神仏分離令で分かれました。
東泉寺の薬師堂には、飯田家義の守本尊と言われる薬師如来像が安置されています。
■東泉禅寺の扁額 ■薬師堂
■和泉川
■市営地下鉄下飯田駅
境川と和泉川により削られた平坦な土地が続く下飯田一帯。工事の進捗で道路付がどんどん変わるので、地図アプリを頼ると、示していた道が無くなっていたりします。お出かけの際は実際の交通状況に沿って、足元を気をつけて巡ってください。
■今回のルート