戸塚パルソ通信@メール 第141号
戸塚宿を行く(地域逍遥)
vol066-5
水に親しむ緑の道和泉川(5)
■和泉川
いよいよ和泉川の水源地へ到着です。
美しい水辺を歩いて二ツ橋親水公園。厚木街道が見えます。
■厚木街道を越えて、水辺を覗くと、、あれ??。ただの側溝??
確かに和泉川です!
ところどころ暗渠になっているのを北上すると、中原街道と交差しました。
石碑が立ち並んでいます。
二ツ橋地名由来の碑が建っていました。
「相模野の流れもわかぬ川水を掛けならべたる二ツ橋かな」道光親王
「しみじみと清き流れの清水川かけ渡したる二ツ橋かな」徳川家康
二ツ橋を歌った有名な和歌二首ですが、ともにそれが語源かはわからないとのこと。「由来の碑」と書いてあるのに、結局由来は分からずじまいのまま、近隣にあった二ツ橋学舎と指導者の山名氏の顕彰へと文は移ります。瀬谷区役所と署名してあるので、公的な記念碑のはずです。何があったんだろう?
■中原街道を越えて、川の様子は相変わらずです。
和泉川の上に、ウッドデッキが渡してある部分がありました。
■左手の高いところが相沢小学校。カエルの形のオブジェが登場。なんだろう?
■和泉川源流ひろば
教育目的でしょうか。ここだけは水辺に降りられる形になっています。さっきのカエルのオブジェは、ひろばの入口と出口の標識でした。
再び、こんな形の水路が続きます。 だんだん、水路が不鮮明になってきました。
この辺りが和泉川の源流地帯。この辺りから染み出す水が、和泉川になっていきます。
■横穴古墳跡
和泉川源流地のそばに、こんな場所がありました。
この地は、古くから霊験ある場所として敬われ、江戸時代には八剣大明神として祀られていましたが、明治39年に崖地が崩落し、横穴式古墳が発見されました。
人骨の他、琥珀の棗、金環、直刀などが出土し、奈良時代以前の有力者のものと鑑定されました。遺物は、国立博物館に収蔵されています。
横穴古墳跡に隣接する長天寺。
下流域では自然に親しむ美しい公園ばかりだった和泉川。源流に近づく方が都市的で無機質な風景になってしまったのには驚きました。
源流地域が古代から栄えていたのは、和泉川源流の、豊かな恵みのおかげかもしれません。
■二ツ橋から和泉川源流地へ