戸塚パルソ通信@メール 第35号
戸塚宿を行く
vol.013-01
戸塚宿誕生へ澤邉信友と戸塚宿1
戸塚宿の誕生に深く関わった澤邉家。その家祖である澤邉信友と戸塚宿誕生のエピソードに迫ります。
( 澤邉信友と戸塚宿(2) ▶ )
○澤邉本陣
旧東海道沿い、戸塚消防署の北側に澤邉本陣跡の記念碑が建っています。澤邉本陣は戸塚宿に二つあった本陣の一つで、明治維新の際には明治天皇の行在所(お泊まりになった場所)となった程の格式を誇っていました。
本陣とは、江戸時代、参勤交代をする諸大名が泊まる場所です。よく誤解されますが、現代のホテルのスィートルームの様に、大名が贅沢のために泊まる場所ではありません。幕府によって「大名はそこ以外に泊まってはならない」と指定されていたのが本陣です。幕末、薩摩藩の島津久光が「既に隠居したので」と、本陣に泊まることを拒んだことが大問題となったくらい、重要な場所だったのです。
澤邉本陣は、戸塚宿認可の功労者、澤邉信久(宗三)によって開設されました。その父親が澤邉河内守信友(さわべ かわちのかみ のぶとも)です。文書によっては「宣友」の表記もあります。上記の看板にもあるように、戸塚の鎮守の一つ、羽黒神社を勧請したり、戸塚十勝の一つに数えられる海藏院を再興したのが澤邉信友です。
澤邉信友は小田原北条氏の家臣として活躍し、北条氏が滅亡した天正十八年(西暦1590年)に亡くなっています。実質的に戸塚が宿場町として繁栄する基礎を作った一人と言って良いでしょう。
◆羽黒神社◆
◆海藏院◆
現在、戸塚消防署のある場所には、昭和40年(西暦1965年)まで、戸塚区役所が置かれていました。その前は海藏院の敷地だったということです。海藏院の敷地ということは澤邉信友が寄進したもの。現代に至るまで、澤邉信友の遺産は、戸塚宿の中心として貢献し続けたと考えると、非常に興味深いものがあります。
◆戸塚消防署◆(すぐ北側に澤邉本陣跡の碑があります)
次回は、澤邉信友の生涯と戸塚宿成立のドラマを取り上げます。