戸塚宿を行く(歴史探訪)

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戸塚パルソ通信@メール 第85号

戸塚宿を行く(歴史探訪)

vol.037-1

夢に終わった「ドリーム」ドリームランドと大船モノレール-1

※夢のあとさきを見守る大船大観音

●完成しなかった「ドーリームランド構想」

大船から戸塚へ、モノレールが運行されていたのはご存知でしょうか。

1964年に開業した「横浜ドリームランド」。都市近郊のアミューズメント施設として、全国的にも注目を集めたのは、ドリームランドとともに、団地ドリームハイツの開発および、アクセス手段を同時に開設し「街を作る」構想でした。
これは、浦安のアミューズメントを中心にしたリゾート計画に20年以上先んじた、先進的なもの。戸塚は、最先端の街として、大きな発展を遂げるはずでした。

( ドリームランドと大船モノレール(2) ▶)

モノレール車両

●相次ぐアクシデント

1966年、ドリームランドの開業に2年遅れて「ドリームランド線」通称、大船モノレールが開業します。大船駅からドリームランドへ一直線。開業と同時に大きな賑わいを見せたのもつかの間、暗雲が漂い始めます。

開業からわずか1年半で、走行タイヤのパンク、謎の運行不能、車軸の破損などが相次ぐのです。運輸省の指導が入り、調査した結果、車両が、計画に比べて大幅に重いことが判明し、様々な対策が講じられますが、抜本的なものとはなりませんでした。

そうこうしているうちに、重量に耐えきれなくなった橋脚に無数のクラックが生じていることがわかります。安全性に大きな欠陥があるとされた大船モノレールは1967年9月23日、運行休止に追い込まれます。

●夢のまた夢

その後、大船モノレールは何度か運行再開を模索します。
バブル時代には、ドリームランドの経営権を握ったダイエーが本格的な大船モノレールの再開に乗り出します。リニア技術を取り入れた未来路線としての復活も構想されますが、折悪しくバブル崩壊。 ダイエー本体の経営状況が悪化する中、大船モノレールへの出資もままならなくなり、2002年、ついに運行再開断念が決断されます。

運行休止から36年。再開の願いはとうとう叶わず、2003年に鉄道事業の免許が正式に廃止。2005年までには、残っていた橋脚等も撤去され、大船モノレールは歴史の彼方へと消えてゆきました。
また、2002年に閉園した横浜ドリームランドは、横浜市が霊園として再開発し、「メモリアルグリーン」という、樹木葬と洋風プレート墓地が特徴的な、静かな弔いの空間になっています。

メモリアルグリーン

○メモリアルグリーン