戸塚宿を行く(歴史探訪)

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戸塚パルソ通信@メール 第100号

戸塚宿を行く(歴史探訪)

vol041-03

北条から徳川へ 関東の覇者と綱渡りの攻防石巻五太夫(3)

今回は、現代に残る五太夫のゆかりの地を巡ります。

●中田に広がる五太夫の足跡

徳川家康に仕え、中田村を知行として与えられた五太夫は、中田の陣屋に居所を定め、慶長18年(1613)、80歳で亡くなります。
子孫は代々中田を知行地として治め、幕末まで存続します。そのためか、大名ではない武士としては、意外なほどゆかりの場所が中田周辺には広く残っています。

石巻康敬の墓

横浜市の登録文化財。五太夫の七代目の子孫、石巻康福が、五太夫の百五十回忌法要(宝暦12年・1762)に建立したもの。
現在は住宅地の真ん中にあるが、かつては「殿様の森」と言われる広大な森林の中にあったという。撰文は、荻生徂徠の弟子で、高名な儒学者だった岡井孝先(嵰州)が起こしたもの。

●中田寺

石巻康敬の菩提寺

中田寺は慶長17年(1612)に本誉良廓上人を開山に、石巻五太夫が開基しました。境内にある稲葉堂は、五太夫の持仏堂であり、明治になるまで墓の隣にあったものを境内に移築したもので、十一面観音と閻魔像が安置されています。

稲葉堂

●御霊神社

中田村の鎮守であった御霊神社を五太夫が再興したと言われます。
その後も、確認できるだけで3回ほど石巻家の子孫が改修していて、篤く信仰されていたことがわかります。

本殿

境内では、ホタルの復活を目指す水路やボーイスカウト、中田囃子など、興味深い活動が盛んです。

●白百合公園

白百合愛児園に隣接する公園。かつての「殿様の森」の一部とされており、豊かな自然が残っています。
かつての「殿様の森」の深さ=中田陣屋の広大さが推測できます。

●鯉ヶ久保ふれあい樹林

豊かな自然が残るふれあい樹林。「久保」という地名が残るように、かつては中田陣屋の外堀として利用された湿地帯だったと言われます。
この辺りまで陣屋だったとすると、規模が大きすぎるという説と、それだけ中田が重要な拠点だった証拠だとする説があります。

●石巻五太夫ゆかりの地