戸塚宿を行く

戸塚駅西口 11ブロックからなる絆体験ゾーン"戸塚パルソ"

ホーム »戸塚パルソ通信@メール

戸塚パルソ振興会事務局

〒244-0003
神奈川県横浜市戸塚区戸塚町16-5
E-mail:info@totsuka-pallso.jp

戸塚パルソ通信@メール 第29号

戸塚宿を行く

vol.010-05

旧東海道を歩く5 上方見附〜原宿交差点

「戸塚宿を行く」・戸塚区内の旧東海道を歩きます。

「戸塚宿(宿場町)」をあとにして、東海道を西へ向かいます。上方見附前のバス停の名称は「大坂下」。箱根に並ぶ難所といわれた大坂がいよいよ始まります。

( ◀旧東海道を歩く4 旧東海道を歩く6▶ )

旅人の無事を祈るかの様に鎮座するのが「第六天神社」。道路改良工事に伴い新築されたため、真新しい御堂が目を引きます。
>>参照「恋愛パワースポット?第六天を巡る」

大坂を昇り始めると、石仏群に出会います。

ほとんどが庚申塔のようです。日光東照宮でおなじみの見猿聞か猿言わ猿の「三猿」が彫られています。
かつて、この辺りには、坂を上れず立ち往生した車の後押しする仕事があったとか。

徐々に坂の傾斜が増してきます。

大坂の説明板です。

石碑も建っています。

上の説明板や石碑は、バス停「大阪台」のそばにあります。

東海道(新道)につながる急な坂の上に、戸塚警察署があります。ちょっと寄り道して、新道に向かってみました。

釣具店が現れます。釣具店の店名は「戸塚中継店」。箱根駅伝の戸塚中継所(往路)が置かれている場所です。

通常時は、ココから先は歩道が無くなり、徒歩では先に進めません。
ということで、旧道に戻ります。

大坂上のバス停が近づくと、旧東海道の案内標識が。今回の旅では心強い道案内です。

大坂上のバス停に到着しました。

江戸時代に絶景を讃えられた、大坂上からの景色。

大坂松並木の標識。街道沿いの松並木は、旅人を風や強い日差しから守りました。

旧道と新道が交わるこの区間は、当時を彷彿とさせる街路樹が残されています。

西横浜国際総合病院前のバス停のすぐ後ろに「お軽勘平の碑」が立ちます。

「仮名手本忠臣蔵」の名場面、お軽勘平による「道行き旅路の花婿」の舞台がココです。
>>参照「戸塚と歌舞伎 道行旅路の花聟1」「戸塚と歌舞伎 道行旅路の花聟2」

削り取られて、江戸時代よりも数メートル低くなっているという大坂ですが、やはり絶景。

「お軽勘平の碑」の反対車線からは、西横浜国際総合病院が見えます。
西横浜国際総合病院初代院長は、開花館クリニックの瀬尾勲先生です。

日本橋から46km地点。

近くには、ハマ住センターさんも所属する「オセアン大洋ホールディングス」の開発物件もありました(2015年4月)

なだらかな下りに入ります。進んでゆくと、目立つ松の木がありました。

原宿一里塚跡です。日本橋から11里目の一里塚とのこと。一里4kmとすると、44kmとなりますが、先ほどの「日本橋から46km」という表示よりも西にあります。

戸塚区が設置したと書いてある説明板。それ自体が史蹟のようになっていますね。

一里塚跡を越えても坂はまだまだ続きます。

浅間神社です。室町時代に村の平安を願って建てられたとのこと。参道には名木古木に指定されたスダジイの巨木が茂ります。

>>参照「戸塚のパワースポット」

続いて「大運寺」が見えてきます。葵の御紋を門前に掲げています。樹齢400年といわれるイチョウの木が見事です。

歩道橋から西を見れば、原宿交差点のアンダーパス(原宿トンネル)が見えます。

渋滞の名所として、交通情報では必ずといって良い程紹介されていた「原宿交差点」。交通渋滞解消のためにアンダーパスが開通したのは2010年です。

さあ、原宿交差点です。ココまで来て、ようやく平坦な道になります。昭和以降、何度にもわたる改修工事で、かなりなだらかになったと言われる大坂ですが、やはり難所でした。

次回、遂に戸塚区内の旧東海道を踏破します!

○今回辿ったルート

  • 戸塚パルソ
  • 戸塚パルソ通信
  • クーポン券
  • 加盟店募集
  • バス待合所

戸塚パルソ振興会事務局

〒244-0003
神奈川県横浜市戸塚区戸塚町16-5
E-mail:info@totsuka-pallso.jp