戸塚パルソ通信@メール (第10・11・12号)
パルソファン図鑑
vol.004
東日本大震災復興支援に奔走する一般社団法人希望の環のみなさん
○広がる「希望」と戸塚パルソの絆。
東日本大震災で大きな打撃を受けた石巻、女川の事業者が中心となり、復興に向けた"希望"をつないで行こう、と立ち上がった「希望の環」。
震災直後、がれきや泥の中から掘り出した鯨の缶詰をボランティアたちが丁寧に洗い「希望の缶詰」として販売したことが話題になりました。
現在は、生産者、小売店、消費者などのネットワークを通じて、被災地の"希望"を広げて行くための活動を行っています。
希望の環と戸塚パルソの出会いは2012年の夏のこと。
東日本大震災の復興支援団体が活動場所を探していると聞きつけた、戸塚パルソの栗田昭義会長は、希望の環の小倉伸太郎さんと協力して、【東北復興支援パネル展・現地物産即売会】を開催します。
好評を受け、翌年も再び実施すると、さらに大きな支援が寄せられたのです。
活動の中心の一人、小倉伸太郎さんは、「戸塚の方は、他地区に比べて断然リピーター率が高い」
といいます。
他地域でも、復興支援活動を行っていると“がんばってね、また来ます”という声を掛けられることは多いそうですが、普通の“また”は、その次の開催を待っています、という意味。ところが、戸塚の“また”は、“開催期間中にもう一度”という意味の方が圧倒的に多く、しかも、友人知人に知らせて、同伴で来場してくれるケースが多いとのこと。
「何回も足を運んでいただき、さらに支援の環を積極的に広げていただける。戸塚で復興支援活動を行えて、本当に良かったと、ありがたく思っています」
と、小倉さんはおっしゃいます。
JRの駅ナカや、池上本門寺や増上寺などの縁日、更には神宮外苑花火大会など、多くの人々が行き交う場所で、順調に催事を展開し、石巻市や復興庁のバックアップも受けて、順調に活動する希望の環。 「でも、楽観はできません。時間が経ち、復興支援の熱が冷めて尻すぼみになることだけは避けなければいけません。復興支援の事業化、独立採算制も含め、いかに継続させてゆくか、これからが大切です」
○【希望の環・小倉伸太郎さん】
石巻・女川の事業者と共に、東日本大震災復興支援に奔走する、希望の環の小倉伸太郎さん。
実は東北の方ではありません。 北九州の小倉出身の九州男児。出身地は「こくら」、姓は「おぐら」です。
その後、関西に転居し、関東に進学、就職、そして今、東北と深くつながる活動をされている、という日本を縦断する経歴の持ち主です。
しかもお仕事で、「おそらく日本で行ったことのない街がない」とか。
小倉さんは、株式会社生産者直売のれん会の「ライセンスブランド事業本部 食べ興しニッポン事業部 部長」でもあります。
大規模物流には乗らないものの、本当にいい商品を作っている名店を発掘して、全国に発信するのが、小倉さんの本業。
「あのお店が美味しい」と聞けば、全国津々浦々、どんな場所でも足を運びます。時には期待通りの味でないこともありますが、決してめげません。
もちろん、全国的に発信されていない隠れた名店のほとんどは、都内にいては情報が得られませんから、文字通り「足で稼ぐ」必要があります。その食への情熱は驚くばかりです。
その小倉さんが発掘した名店のうち、「丸平かつおぶし」と缶詰の「木ノ屋石巻」が、東日本大震災で被災します。
それが、小倉さんの復興支援事業の始まりでした。
「最初は、おつきあいのある両社をなんとか支援したい、という気持ちでした。けれど、動き出してみると、それは無理だとわかりました。地域全体の復興がなければ、会社を存続させるためのインフラや人材が確保できないんです。そこで、『希望の環』を立ち上げることになりました」
希望の環の話を、たまたま生産者直売のれん会の社長と交流のある大学の教授が、自分の講義のとき、学生に活動を紹介したところ、「ぜひボランティアに」という有志が立ち上がります。
その中の一人が、平田翔也さんです。
次回、学生ボランティアという枠を超える平田さんたちの活動をご紹介します。
○【希望の環・平田翔也さん】
大学の教授からの情報で、希望の環の活動に加わった平田翔也さん。
現在、大学4年生。就職活動は終わっています。
「(希望の環と関係の深い)生産者直売のれん会にお世話になることになりました。」
しかし、それは“ボランティアのコネで”などというものではありません。
「のれん会の社長からは、『他の会社を受けて、就活を全うして、外の世界を見て、それでもウチが良ければ、その時(採用を)考える』といわれました」
平田さんは、いまだに就職氷河期が続く中、いくつかの内定を確保。その上で改めて就職先にのれん会を選んだのです。
平田さん以外にも“希望の環”ボランティア経験者の内定率は非常に高いと言います。
伺うと、希望の環は単なるボランティアの枠を超えた、人材育成組織であることがわかりました。
「希望の環の活動は、がんばってボランティアして良かったね、では終わらないんです。必要な売上目標を達成できないと、被災地の役に立たない自己満足になってしまう。それでも『やらないよりはまし』なのですが、それでは、誰かに負担がかかってしまい、継続しにくい。支援は継続されなければいけないのです。継続するためには黒字でなければいけない。目標を決め、場所や販売方法、利益計算、商品計画など、目標達成のための販売計画を立案し、実行します。それら全ては学生の自主性にまかされていますが、これまでのところ黒字を確保して来ています。」
復興支援販売会を行う会場に目星をつけるのもボランティアの役目。さらに交渉し、確保までまかされているというのです。
販売計画を立てるスキルと、実務レベルの交渉経験があり、継続して黒字化を達成している実績を持つとなれば、どこの企業も、喉から手が出るほどに欲しい人材です。ここに“希望の環”ボランティアの内定率の高さの秘密があったのです。
「20歳になったら自立独立しろという家訓があって、今は都内に一人暮らしです。職人気質で滅多にほめてくれない父親に希望の環の成果を説明したら、一言、『よくやったな』とほめてくれました」
と、にこやかに、熱く語る平田さん。これからの活躍が期待されます。
他にも「絶対“希望の環”に参加したい」と、ボランティアに加わった3年生の村上寿樹さんは、大学の後輩たちへつなげてゆく仕組みをつくりたいと熱意を持って語ってくれました。
今年の神宮外苑花火大会に“希望の環”をブッキングしたのが飯山ちひろさん。
大きな成果を上げ、新聞にも取り上げられました。
「友人たちもとても協力してくれます」と笑顔を見せてくれます。
彼ら彼女らの精力的な活動に支えられる“希望の環”。今後の発展が期待されます。
◆一般社団法人希望の環
石巻本部 〒986-2111 宮城県石巻市三和町6-17
東京事務所〒111-0034 東京都台東区雷門1-2-5株式会社生産者直売のれん会内
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