戸塚パルソ通信@メール 第101号
戸塚宿を行く(地域逍遥)
vol040-06
日本の黎明にその名を残す武相国境をゆく(6)
瀬谷と旭の区境を辿って、町田に入ります。
●瀬谷高校前から出発。
案内看板を見ます。「野境みち」が、武相国境です。
一歩踏み入れると鬱蒼とした森。左側が「瀬谷市民の森」です。
右側は上川井市民の森。旭区です。
道標。こちらでは「野境いみち」。「境い」と送り仮名がありますね。
さらに森が深くなります。昼なお暗いと言った感じ。
森の中にもターミナルのような 場所があるんですね。
と、思うと、ぱっと 空が開けました。 市民の森はここまでのようです。
侵入者を防ぐかのように立ちはだかる杭。
少し明るくなりました
古戦場跡の看板。
この看板は、「中丸山古戦場跡」の解説です。戦国時代、小田原北条氏の北進を、扇ケ谷上杉朝興が止めようとした戦い。この解説によると、北条氏康の初陣でもあったそうです。主戦場は現在の百合ヶ丘近隣だったらしく、徒歩で約1時間半の距離なので、相当広範囲に渡った、大規模な戦いだったのでしょう。
他にも、 新田義貞の鎌倉攻めや、上杉禅秀の乱でも、この近辺は重要な場所だったとされています。
武相国境、中でも瀬谷近辺は、鎌倉をめぐる重要な防衛拠点だったことが想像されます。
と、見ると、藪の中に英語の警告看板があります。「US NAVAL」という文字が白ペンキで消されています。元の米軍、上瀬谷通信施設との敷地の境のようです。
一気に視界が開けました。地平線が見えそうな勢いです。
現在は米軍から返還され、自衛隊の管理下にあるという、立ち入り禁止のふだが下がっています。敷地内に見える、ボロボロに錆びたバンが意味ありげです。
さらに進みます。
「ドローンなどを飛ばさないでください」という警告。軍事基地なんだなという、妙な緊張感が漂います。
ここは富良野か?本州とは思えない風景が広がります。
この先、農業専用地区のため立ち入り禁止。
迂回すると、保土ヶ谷バイパスが見えてきました。
保土ヶ谷バイパスに沿って進むと先程の立ち入り禁止箇所に続くと思しき道がありました。武相国境はこの道です。
見慣れた地形が再び登場です。このアップダウンが武相国境です。
尾根の部分に川井浄水場。柵の外から撮影。大きな丸いものは、水道管のようです。
尾根から見下ろすと「瀬谷区」の看板。いつの間にか瀬谷区を出ていました。
そのまま保土ヶ谷バイパス沿いに進みます。
道路に手が届くような狭い場所を抜けてゆきます。
東名高速の横浜町田のインターチェンジ。もう東京都です。
自動車道に向かって上がっていく階段があるので登ってみたら
保土ヶ谷バイパス上のバス停に繋がっていました。
休日のみ、12:00に1本だけ、南町田グランベリーパークへ行くバスが止まるようです。
港南区から出発して、戸塚区北辺の武相国境を歩きました!長かったですね〜。
都内に入りましたので、ひとまずここまでといたしたいと思います。でも、町田市も市の中に武相国境が通っているようで、「町田は神奈川県だ」といわれるのも、この辺りが影響しているのかな??
・今回のルート(実際のものとは多少違います)