戸塚パルソ通信@メール 第96号
戸塚宿を行く(地域逍遥)
vol040-02
日本の黎明にその名を残す武相国境をゆく(2)
相模と武蔵の名前を冠する。
●今回は武相国境を明示する名前の場所から歩き始めます。
横浜市立相武山小学校。国境の場合は慣例的に「武相」ですが、この小学校のある山は「相武山」です。相模国と武蔵国の境の山であることに変わりはありません。ひょっとしたら、相模の住人が名付けたのかもしれませんね。
相武山小学校から、東=武蔵国側を眺めます。山の高さがわかります。
北へ向かうと、横浜市立南高校です。前を走る道路をなだらかにするために、かなり掘削したことがわかる高い石垣です。
お洒落な外観の東永谷地区センターを超えて
なだらかな坂が、真っ直ぐに武蔵国方面へ伸びています。
逆に、相模国方向は切り立った崖。法面を利用して、棚田状に公園が作られています。(東芹が谷公園)
敷地内を武相国境が横切る横浜市立下永谷小学校。
こちら武蔵国
こちら相模国
学校の右手の道を進みます。左右の道がいずれも下り坂。ここが狭い尾根であることがわかります。
左(西側)相模国側は切り立った崖。
右(東側)は緩やかな坂。 ベイブリッジが見えます。
道が下りになります。
横浜横須賀道路が見えます。
下ったと思ったら、すぐ上り。
尾根から見る夕日が綺麗でした。
バスセンターです。養護学校の看板も見えます。
と、道なりにお地蔵様の看板が。
「勘九郎地蔵」。
江戸時代ごろ、この武相国境で勘九郎という歌舞伎役者が行き倒れ、それを供養したところ、疫病が収まったため、広く信仰を集めたお地蔵様だそうです。近くに椿の大木があり、別名「椿地蔵」と呼ばれたとのこと。
「椿地蔵」は、自性院というお寺に移されることになり、しばらくこの地にはいらっしゃいませんでしたが、お地蔵様は子どもを守る仏様ということもあり、子ども医療センターに隣接したのも何かのご縁と、篤志家が新しくお地蔵様を建立して、現在に至るとのことです。
緩やかに道を降ります。
さらに降ります。
道筋には福祉施設や老人ホームがありました。
降りきるといよいよ戸塚区です。この辺りは、戸塚区・港南区・南区の境界になります。
次回は、戸塚区の北辺を辿ります。
・今回のルート(実際のものとは多少違います)