戸塚パルソ通信@メール 第95号
戸塚宿を行く(地域逍遥)
vol040-01
日本の黎明にその名を残す武相国境をゆく(1)
境木地蔵前「武装国境の碑」
●戸塚区は、相模国の最前線
神奈川県というと「相模国」というイメージがありますが、実際は、今の川崎市と、横浜市の大部分は「武蔵国」でした。
戸塚区は、相模国鎌倉郡の最北端として、武蔵国との国境の町だったのです。
今の区境と、武相国境はほぼ同じで(港南区だけ、区の真ん中を真っ二つにしていますが)この国境が、古代から明確に生活圏を分けてきたことがわかります。
古代では、大和朝廷の実効支配が及ばず、あまり情報がない東国ですが、その中にあって、日本書紀には武蔵国造の乱という事件が掲載されています。
武蔵国を支配していた国造が、乱を起こし、大和朝廷に征伐されたため、久良岐郡を割譲して講和したというもの。(久良岐郡は現在の金沢区・磯子区・南区・港南区の半分にあたります)
日本の歴史の黎明期から登場する、激動の「国境」それが武相国境です。
戸塚区の最北端、武装国境を歩きます。
・武相国境を守る境木地蔵